Web版尼崎地域史事典『apedia』



 今朝、私は武庫川キリスト教会武庫川のそばに新会堂を建てることもあって、武庫川地域の共通の関心事、武庫川の水害について勉強しないといけないと言う思いになりました。それでWeb版尼崎地域史事典『apedia』で、とりあえず地形を調べてみました。下記の地図は縄文時代弥生時代の海岸線が書かれたもので、今の阪神電車やJRの位置も書かれているので、現在の位置と比較しやすい地図です。ちょうど、今度の新会堂は、武庫川と書かれてある漢字の「川」の位置に当ります。この地図を見ると、武庫川キリスト教会新会堂用地は、弥生時代においては海ではありませんでしたが、縄文時代においては、海だったか陸だったか、ぎりぎりの位置だったことがわかります。どちらにしても浜辺だったのです。

 出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
武庫川猪名川下流域を占める平野部を武庫平野といい、南部の低平な地域を尼崎平野という。この平野は二つの部分からなる。武庫川の川口付近は武庫川氾濫原の面であり、武庫川が現在の堤防で固定される以前は甲武橋付近から多数の支流に分かれ、広い三角州を造っていた。これは武庫川六甲山地の風化花崗岩〔かこうがん〕からもたらされる多量の砂礫を運搬するからである。これに対して、猪名川は古生層よりなる北摂山地に発し運搬土量が極めて少なく、神崎川と合して三角州を張り出すことがなかった。したがって尼崎平野東部では尼崎粘土層が厚く堆積し、礫質の平野面ができず、砂州列の前身によって平野面が拡大していった。(執筆者: 藤田和夫)

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