三位一体教No.15(連続物ですので面白くない方は読み飛ばして・・・)

きっと多神教は一を捜している

 いつしか、宗教を区分する場合、「一神教」か「多神教」か、という分け方をすることが定着してしまいました。つまり、「一」か「多」か、というふうにすぐに分けてしまうのです。もしそのような分け方をしますと、私たちの国、日本は、「一」の側に属するのではなく、「多」の側に属することになりましょう。しかし問題はそんな単純なものではありません。

 「多神教」というのは、「あっ神がようけいるなあ」と言うことでしょうけれども、「多神教」を語る人たちはみんな、「あっ神がようけいるなあ」だけで決して満足していないと思います。私の知る限り、真面目な人たちは、「あっ神がようけいるなあ」と言いながら、統合的視点で「一」を求めているのです。その最も説得力のある概念が「汎神論」だと思います。もう一つは、国家的視点である「天皇制」と文化的視点てある「和魂洋才」だと思います。

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