本日の水曜礼拝説教

 はるばる東方からイエス様を拝みに来た博士たちは、私たちのロマンをかき立てます。イエス様が生まれたベツレヘムからは、エデンの園も東方、アブラハムのウルも東方、後の時代にはバビロン捕囚で連れ去れたところも東方ですから。確かにキリスト教は西方に伝わっていきますが、日本も東方ですから、東方の求道者がキリストを目指したという記録はロマンをかきたてます。そして、この東方の求道者の魅力は諦めなかったこと、です。現代人は、どうせ真理を求めても失望すると考えているのでしょうか。失望したくないから真理を求めないのでしょうか。真理を求めたらリスクがあると思っているのでしょうか。真理を求めるとカルトになると思っているのでしょうか。確かにカルトに引っかかってしまった人たちは沢山います。でも、それだからといって飽きらめてはならないのではないでしょうか。また最近は、信じるものにとってはキリストはいるというような表現をして、半分諦める傾向もあると思います。でもキリスト、救い主、真理、というのは、その程度のことなのでしょうか。東方の博士を眺めていると、力が沸いてきます。なぜなら、彼らこそイエス様が言われた「求めよ、さらば与えられん。叩けよ、さらば開かれん。捜せよ、さらば見つからん」と言うふうに生きたからです。イエス様は私たちにそのようにおっしゃいましたが、実は、私たちに要求するからには、イエス様自身がまずこのことをしてくださったのです。つまり、彼は私たちを求め、私たちを捜し、私たちの心にノックしてくださったのです。だから、諦めないで、立ち止まらないで、キリストが本当にキリストか、真理が本当に真理かを確かめてほしいのです。偽者の多い時代に、「かいばおけのイエス様」を忘れないで・・・。(本日のマタイ2章1節〜の水曜礼拝メッセージ)