人格関係について20・・連続物

※連続で見る場合、カテゴリーから人格関係(連続物)をクイックしてください。

 このことを証明するには、実際にやってみれば良いのです。つまり、マルティン・ブーバーの言う「我と汝(対話的人格関係)」というものが、本当に二者間関係で可能なのか、三者間関係では本当に可能なのか、四者間、五者間ではどうか、というふうにして、順番に1つ1つ試して確認すれば良いのです。そうするときにわかることは、二者間関係、三者間関係までは「我と汝(対話的人格関係)」は可能ですが、四者間関係以上の場合は、対話的人格関係を同時に正常に働かせることは不可能であることがわかってくると思います。具体的には、二人でおしゃべりしている時、そこにもう一人そこに入ってきたとしても、人格関係のバランスはとれるのですが、それ以上の人数が入ってくる時に、対話的人格関係を保つことは不可能になり、何とか技術論でまとめるしかなくなります。


 だからといって二者関係ならば、必ず対話的人格関係が成立するかと言うとそうではありません。むしろ問題の本質は、いつも二者間関係における、対決、対立、敵対、ではなかったでしょうか。

 またAがBを支配したりするのも二者関係ですし、反対にBがAを支配したりするのも二者関係です。このようにして、我々人類は確かに二者間関係で苦しんできたのです。しかしそうであったとしても、二者間関係だからこそ、我々は「我と汝(対話的人格関係)の祝福を獲得できる可能性があるのです。

 このことは、三者間関係においても同様です。我々は三者間関係の中での、二者が一者を支配したり、一者が二者を支配したり、三者間関係においても二者間関係と同様に人類は苦しんできた歴史があるのです。しかしそうであっても、三者間関係において「我と汝(対話的人格関係)」の祝福を獲得できる可能性があります。特に三者間関係は、二者間関係間の不健全な強いコントロールの縄目を解くためにも重要な役割を果たす関係のあり方です。何よりも、対話的三者関係の完全なるお方が三位一体なるお方であるという意味でも重要です。

 しかし四者間関係、五者間関係ではもう不可能です。もはや四者間関係、五者間関係になると、一対一の人格関係ではなく、「一対多」における技術論となり、どうしても非人格関係的要素が入り込んでくるのです。