もし教会が大きくなってしまったら(1)

 関東に大きな教会があります。その教会を大きくした牧師は、地味な先生です。駅の近くのこんもりした林のなかにある教会です。1000人ぐらいの信徒さんがいる教会です。でもこの牧師は、1000人ぐらいの教会になった時、私は大きな教会を牧会する賜物がないと言われて、別の場所で開拓伝道を始められました。この後、この1000人ぐらいの教会は次の良い牧会者が与えられて、今もすばらしい牧会がなされています。この教会は地の利がある教会だと思います。また敷地面積もあるので、その敷地が用いられたのでしょう。また幼稚園の働きも成長の原因になったと思います。この話を聞いた時から、私は、「もし教会が大きくなってしまったら」と言うことを考えるようになりました。この先生の場合は1000人ぐらいの教会になってしまったのです。この先生は謙虚な先生ですので、先生自身の長所を語らないばかりか、先生自身の弱さばかりを語られる、牧師ですので、先生の言葉を借りて、1000人になってしまったらどうしたら良いのでしょうか。

 一度1000人になってしまったら、次の牧師に継承していくことは簡単なことではないでしょう。どんな組織体でも右肩上がりの時代があり、安定期があり、右肩下がりの時代となっていきますので、教会でも、この世の組織と同じように、何らかの次の手を打たねばならないわけです。ある教会は「牧師のカリスマ性」(説教、他)に依存しています。ある教会は「礼拝プログラム」(リタジー、ノンリタジー)に依存しています。ある教会は「教育プログラム」(聖書日課、デボーション、分ち合い、弟子教育)に依存しています。ある教会は「交わりプログラム」(セルグループ、家の教会、ケアグループ)に依存しています。ある教会は「教派的シンボル」、ある教会は「厳密な体系神学」(契約神学、ディスペンセーショナリズム)に依存しています。

 「牧師のカリスマ性」に依存している教会は、次の代も同じようなカリスマ性を持つ牧師に移行していくことは困難なことでしょう。なぜなら、もしそんなことをしたら、全然違う教会になってしまいます。結果的に、最も「牧師のカリスマ性」に依存している教会が、その一代目の牧師を尊びつつ、カリスマ性とは全然異なるものに移行していく形が最も無難でありましょう。特に、次の牧師はその点で、ある程度のバランス感覚が必要となってくることでありましょう。とりあえず「体系的な神学」でしっかりと前任牧師時代のあらゆる事柄を意味づけしつつ、移行していくしかないのではないでしょうか。