もし教会が大きくなってしまったら(2)

 教会には、小さな教会の時に大きな教会になった時の種子があります。小さな教会の時に蒔いた種は大きな教会になった時に刈り取らねばなりません。ですから大切なのは、小さな教会の時にどう生きるか、です。小さな教会の小さな中核部分が、大きな教会になったときの原動力となっていくのです。私は1998年にカナダのある教会に行った時に一つのことを感じました。この教会は5000人ぐらの礼拝出席の教会でしたが、私が参加したのは、牧師14名、スタッフ14名、合計28名程の月曜日のミーティングでした。その雰囲気は和気藹々としたとても楽しい雰囲気であり、私は5000人教会でどんなふうに5000人が礼拝しているかを実際見ることがなかったのですが、この28名の交わりグループで5000人教会の姿をすべて見たような気がしました。

 私が見たのは、ここにいる28名の牧師とスタッフの一人一人の資質がどうのこうの、ということではなく、この28名の牧師とスタッフのお互いの関係と交わりが本物である、と感じたのです。この交わりが、きっと5000人の会衆に反映していると確信し、この考えを持って日本に帰りました。

 小さな中核における交わりが全体に反映するのです。教会の中心に一つ個があるのではありません。教会の中心に交わりの中核があるのです。この交わりの中核の雰囲気が非常に大切です。この交わりの中核の雰囲気が、将来、教会が拡大した時に、見えてくると考えて良いと思います。カリスマ性の強い教会は、中核が「個」となります。中核が「個」になることを良しする場合もありますが、私は中核が「個」では駄目だと思います。中核には少人数の関係と交わりの中核が必要です。それを見据えた宣教計画が必要なのです。