阪神淡路大震災を想起する早天祈祷会

 今日、朝5時から、阪神淡路大震災を想起する早天祈祷会が持たれました。最初に「遠き国や海の果て」を歌い、次に「99才のアブラハム」という説教(昨日阪神宣教祈祷会で聞いてきた箇所から)をし、聖書の地震の箇所を網羅したものを確認し、私たち日本は地震国なので、聖書の地震の箇所と繋がることの意義を述べ、今年も意味のわからない箇所が沢山あったとしても、粛々と地震の箇所を読みましょうと言いながら読みはじめました。出席者は6名、パンフレットを用意した数が7部でしたので、丁度でした。6名のうちの3名は、実は、17年前、同じように早天祈祷会に出席している途中に、地震を経験した人たちです。


 あの朝、3名のうちの2名は早天祈祷会をしており、1名は私で、私は自分の部屋で、教団情報誌「よきおとずれ」の原稿書きを朝型までしていたのです。私は祈りの人、二人がいてくださって、本当に感謝しました。大災害の時に祈っていた二人、大災害の時、原稿を書いていた私、多くの人たちは、大災害の時に寝ていたことでしょう。


 そんな私たちが教会にいたとき、突然、ドンという音と共に揺れはじめたわけです。私もそう思ったのですが、後二人も、同じように「世の終り」だと思ったようです。書棚が勉強机に倒れてきたのですが、別の柱に引っかかって止まりました。出口に逃げようとして、ドアのノブを持ちますと、ドアが開かず、私のほうに地震が押し返してくるのです。私は「主よ、どうして押すのですか」と言いました。最後、ドアを蹴って、ドアを開いて、外に出ました。地震の後、何の音も聞こえない、沈黙が続きました。私の部屋と、早天祈祷会の部屋は離れていましたので、「大丈夫」と私が叫ぶと、「大丈夫」と声が帰ってきたので安心しました。それから、家に帰ると、みんな無事に寝ていましたので、それで、バイクで、教会の回りの家を一件一件、回りました。家を出ると、尼崎でも数箇所から煙が上がっていました。火事のようでした。そのようななか、バイクはよく動いてくれました。一人一人の家を回り、無事を確認し、安心したわけです。この年から、教会では地域活動が始まりました。やっぱり、地域の皆さんでフォローすることは大切だとみんなが実感したわけです。西宮側ではライフラインが止まりましたが、尼崎側ではライフラインは止まりませんでした。地域によって異なったのです。私たちが、地震の被害でショックを受けたのが、武庫川を渡って、西宮側に入った時から、でした。