降りる熱心(降誕)イザヤ9章6節(水曜礼拝説教)

 「上がる熱心」はよくわかる。みんなしているから。でも「降りる熱心」はわかりにくい。私が教会に行くとき、近所のお年寄りの方が、「御勤めご苦労様です」といつも挨拶してくださった。きっと御勤めをして「上がる熱心」で頑張っていると思っておられたのだろう。「上がる熱心」はよくわかる。でもキリスト教は「降りる熱心」から始まった。つまり、私たちのどうしようもない世界に、イエスさまが神さまなのに天から降りてくださった、ことから始まった。神が人に近づくなんて本当はあり得ない。神が人になるなんて本当はあり得ない。神が人に親しく語りかけるなんて本当はあり得ない。神が人のカウンセラーなんて本当はあり得ない。神が人のために生命を捨てるなんて本当はあり得ない。 キリスト教はそれが愛だと言う。そんなあり得ないことが起こる最初がクリスマス。

 是非クリスマスには、教会においでください。お待ちしております。