明日で神学校での「霊性神学」の学びは終了です。

「瞑想」が如何に我々の霊的な繊細さを高めるか。
その繊細さがさらに我々を「祈り」へと導くか。
その「祈り」に付随する手段として「断食」がある。
この三つの訓練の基礎をしっかりとすることで「学習」の訓練に移れる。
「学習」の訓練で、我々自身と我々が住む世界への理解と判断力を得る。
「単純」の訓練で、神第一により頂く一貫性と統合性で、他者と生きる。
「独居」の訓練で、我々は他者の声を聞き、共に生きることができる。
服従」(真の自己否定)により、他者を操作することになく共存でき、
「奉仕」を通して自らが他者への一つの祝福となることを知る。
「告白」が我々を自己自身から解放し、
「礼拝」(神の臨在体験・神との関係体験)へと解き放つ
そして「礼拝」が「導き」(個人的・共同体的)へのドアを開く
そして真の自由をもってなされたすべての訓練を通して
「祝賀」という三位一体の神への賛美がもたらされる。