聖書的平和主義への渇望3

 しかし、このスイスで始まった再洗礼派運動は、少し遅れて登場した一人の際立った司牧者意識の持ち主、オランダのメノ・シモンズ(Menno Simons)という人物によって穏健的に統合・継承されていくこととなる。カトリックの聖職者であった彼は、長年悩み抜いた末、ある夜、この再洗礼運動に身を投じ、突如、闇のなかに消え、65歳で天に召されるときまで、命の危険と隣り合わせの宣教・牧会活動を展開した。彼の歩みは過激なグループとは異なる「平和的再洗礼派」の立場を切り開く歩みであった。しかし、彼の流れである「メノナイト」(メノ・シモンズに属するもの)も他の再洗礼派と同じく、かなり長い間異端としてのレッテルを貼られ、そればかりではなく、キリスト教会からの迫害による殉教の血を流す歴史を刻んだのである。しかし、ようやく20世紀に入り、次第に「異端」という汚名から「宗教改革急進派」という呼び名に格上げされ、最近では「彼らこそ自由教会運動の先達であった」と理解する動きも現れ始めたのである。1905年発行された経済学の古典とも言えるマックスウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の脚注を見ていると、20世紀初頭の再洗礼派に対するキリスト教界の歴史家、神学者たちの雰囲気が伝わってくるような次の文章を見つけた。

「この洗礼派運動ほど、あらゆる教会の側から無慈悲な迫害を受けたものはない。・・・昔の神学者たちはーいや、すでに同時代の神学者たちさえー同情的ではなく、洗礼派運動に尊敬の念を持つことも極めて少なかった。が、近代の多くの神学者たちの場合でも事情は全く変わっていない。たとえば、リッチルの「再洗礼派」の扱い方は偏見が多く、まことにつまらぬもので、神学における「ブルジュア的立場」などとちょっと言ってみたくなる・・・」(マックス・ウェーバー プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 大塚久雄訳(岩波文庫,1989年),pp270-271)