聖書的平和主義への渇望7

2節 MBの賜物は「自由教会」か
 私はH・フリーゼン宣教師の書かれた「メノナイト・ブレザレンとは」(MB教団出版委員会発行)のなかで、MBの歴史が国教会と分離した「最初の自由教会」であったことが強調されていることを知り、教会論の面でかなり刺激的で、強いインパクトを受けたことは事実である。アメリカにおいて福音主義を中心に自由教会的な流れが主流であるなかで、「その自由教会の源流が我らがアナバプティズムである」という誇りのようなものが伝わってくるような文章であった。

 また現代の多くのメノナイト派が今日までの歴史を整理するなかで、「国教会から分離した自由教会であるメノナイト」という理解からさらに発展させ、「国教会体制の影響下にある現在のキリスト教世界そのものの検証と何らかの分離」を企てていこうとする考え方もかなりセンセーショナルなもので私を魅了してくれている。私が最初に再洗礼派に吸い寄せられたのも、このことによるものであった。日本教会成長研修所の関係でセル・チャーチを紹介するためにシンガポールよりラルフ・ネイバーが来日した際、彼が次のように語り始めたのをビデオで見た。「只今から皆様方にお話しする内容は皆様にショックを与える内容でしょう。」しかし、その内容は確かに福音派においてはかなりショッキングな内容であったとしても、メノナイトの世界においては何も新しいことではなかった。すでにジョン・ハワードヨーダーがメノナイトの立場から鋭く指摘し続けてきた「ポスト・コンスタンティアニズム」の立場の写しであった。

 「この立場はジョン・ハワードヨーダーが主唱者で、メノナイト派、最近のキリスト教界に大きな影響を与えている立場である。ローマ皇帝コンスタンティヌスキリスト教を公認し、キリスト教ローマ帝国の国教とした。それと同時に、教会は権力という誘惑に屈してしまったと言う。それ以降、プロテスタント宗教改革においてもその状況は変わらなかったと主張する。例えば、つまりルター派も改革派も英国国教会領邦国家の世俗権力に屈し、結局は教会との結びつきを深める結果となったと言う。これをヨーダーはネオ・コンスタンティアニズムと呼ぶ。それだけでなく、近代に入るとアメリカにおいてもプロテスタントのチャプレンがいるような文化的な影響力があることを指摘し、これを「ネオ・ネオ・コンスタンティアニズム」と呼ぶ。さらにヨーダーはボンヘッファーに見られる「世俗化論」も文化的影響力を気にするキリスト教世界の生き残り作戦だという。これを「ネオ・ネオ・ネオ・コンスタンティアニズム」と呼ぶ。結局ヨーダーは現代の教会に対して、「権力を聖別するような誘惑に陥ってはならない」と指摘し、預言し続けるのである。」(S・ハワーワス、W・H・ウィリ モンの「旅する神の民」「キリスト教アメリカ」への挑戦状 東方敬信 伊藤悟 訳 教文館1999、のあとがきに東方敬信氏がコンスタンティアニズムについて要約している内容)