聖書的平和主義への渇望9

 私が自分が所属する日本メノナイト・ブレザレン教団の神学校である福音聖書神学校で「教会音楽」の授業を受け持つようになったのも、この信念に基づいている。現在は「礼拝と音楽」という名前の授業であるが、この中で礼拝学を学ぶのであるが、私の教える礼拝学(リタジー)は本来のリタジーではなく、ノンリタジーである。つまり国教会のなかで育まれてきた礼拝学を持たぬ自由教会としての礼拝学である。歴史的な礼拝学を尊重する立場からすれば、礼拝学を持たぬ礼拝学というわけのわからぬ礼拝学だと言えよう。この学びをすることによって、21世紀日本の私たちであっても、いつのまにか西欧の国教会の礼拝学の影響を受けていることを自覚することの学びと言っても良いし、自覚した後にそれに甘んじるか、線を引くかの学びなのである。日本MBも本来「ノンリタージカル教会」であったにも関わらず、いつしか国教会リタジーの影響を受けてきた。これを整理せねば、これからの私たちの道が見えてこないということを訴えたい一心で講義している。

 確かにメノナイトの源流であるアナバプティズムは、500年前宗教改革時に、カトリックの礼拝学(典礼学)から完全に離れた。プロテスタントが少しは残そうとたものからも彼らは急進的に離れたのである。それこそが本来の自由教会としての選択であった。具体的には、彼らは、意図的に離れたというよりも、例えば、カテドラルから外に出れば、カテドラルでなされていた礼拝式から離れるしかなかったのである。もうオルガンもない、もう聖歌隊もない、のである。国教会の匂いのするものから完全に離れるならば、当然、国教会が守り抜いてきたようなものとは完全に離れるしかなかったのである。いや西欧社会から追い出されれば、別の礼拝ライフスタイルで生きるしかなかったのである。

 福音派の諸教会を見ていると歴史を経るなかで自分たちのルーツを探し求める傾向が強くなってきているのを感じる。その場合、福音派の多くはドイツ敬虔主義の影響を受けているが、ドイツ敬虔主義によるリバイバル以前の礼拝学に戻ろうとしているのではないかと思ってしまうのは私だけだろうか。私は日本の聖潔派のなかにそれがあるのを感じ、また聖潔派のある流れから生み出されたペンテコステ派のなかにもそれがあるのを感じている。カリスマ運動の場合はもともとリタジーを持ち続けたままでの聖霊運動であったがゆえにうなずけるのだが、全体的に敬虔主義以前に回帰していく傾向を感じている。彼らが国教会の匂いのする式服を好むのはなぜであろうか。我々がリタジーの意味を十分に認識することなしに国教会リタジーの影響下に無批判に回帰していくことほど恐ろしいものはない。(私はリタジーを否定しているわけではない、リタジーの良さをある程度知っているものとして、無批判に過去の国教会リタジーに起源を持つリタジーが導入されていくことについて危惧している。私は歴史的リタジーの設定にこだわらずに「さらに優れた故郷」を探し求めていきたい。)

 リタジーの道が本当に我々の「さらに優れた故郷」(ヘブル11章16節)に通ずる道なのか。自由主義陣営を中心に「究極はリタジーだ」という「リタージカル・ムーブメント」が叫ばれているようだが、私は国教会を起源とする礼拝学については、メノナイト・ブレザレンとして、福音派として、十分に検証する必要があると思う。ただ、西欧の国教会リタジーから離れていったつもりが、アメリカ的な新しいリタジーを導入しているだけではないかということも最近の危惧である。