959、放蕩息子には帰る故郷があり父がいた。こんな幸せなことはない

 私は日本のクリスチャンの子供たちを思う。教会から離れてしまった子供たちを思う。親が愛に満ちたしっかりとした故郷となっている限り、子供は離れていようと幸せだと思おう。帰る故郷があること自体が幸せだと思おう。放蕩息子は確かに、全く父のことを忘れきっていた。いつも帰りたいと思っていたわけではない。でも彼も「我に帰る」時が来たのである。であるがゆえに、放蕩息子は幸せだったと思おう。帰る前から幸せだったと思おう。クリスチャンの親たちに伝えたいこと、私たちが故郷になっていること自体が大切なことだということ。また私たち故郷に子供たちが失望したとしても、故郷としての私たちを超えて、その子供たちは、イエスさまに繋がる可能性を持っていること自体、なんと幸せなことであろうか。