1077、確かにその日はその日の説教の影響を何らかの形で受けている

 理屈抜きで、その日の説教の影響をみんなが受けている。少なからず、感情的な影響が教会のなかにあるように思う。牧師の感情が何らかの形で伝わっているとするならば、これは大変なことだと思う。顔の表情が何らかの形で伝わっているとするならば、これは大変なことだと思う。牧師は「私ではない、神の御言葉ですよ」と言うのであるが、どうしても主観的な何かがあることを否定できない。だからこそ、牧師の生き方が大切となってくる。「私など関係ないよ」と責任回避できないのである。講壇から降りたら、元に人に戻る式では、結局、信徒のみなさんに二元論を教えているようなものだ。ああ、なかなか難しい課題だ。