三位一体教No.6(連続物ですので面白くない方は読み飛ばして・・・)

ローマ・カトリック教会の場合
 さて、キリスト教の教派のなかで、1500年以上の歴史を持ち、一番大きな教派であるのが、ローマのバチカンをセンターとする、あのローマ・カトリックという信徒数10億人を越える大組織の教派で、アメリカのようなプロテスタントの国でもカトリックが最大教派になっています。(1位カトリック、2位南部バプテスト、3位合同メソジスト)現在のカトリック教会さんの場合は、キリスト教会のなかではかなり幅のある考えを包容する団体になっていますから、一神教のなかに多神教的な面を優しく包容する試みがどんどんなされているようです。しかし、他の宗教からすると、それがカトリックの優しさに満ちた包容力であっても、やはり強いカトリックコントロールだと思う人たちもなかにはいますが、一応、カトリック教会としては、カトリック教会なりに、そうしていくことで、21世紀の希望を提示していこうとしています。しかし私も関係しているプロテスタント教会においては、多神教一神教問題については、それほど駒が残されているように思えません。プロテスタント教会も、カトリック教会と同じような、やさしく多神教世界を包括していく包括主義で何とか対応していこうとしている昨今ではありますが、私は個人的には、この多神教を優しく包容しようとするカトリック教会の包括主義の行き着くところに対してどうもプロテスタントが大切にしてきたバイブル(聖書)が語っていることからかなり外れていくような気がしています。私が関係している福音派と呼ばれているキリスト教の流れは、この包括主義的アプローチをそのまま受け入れることについては警戒しているグループです。

福音派 日本の福音派は戦後、北米から訪れた宣教師によって広がりました。北米で極端に自由主義に走ったキリスト教に対抗して極端に聖書を字義的に解釈する根本主義が生まれましたが、その流れが次第に穏健になり、今の福音派になりました.アメリカでは政治的保守勢力につながっているようですが、その点については、日本の福音派を代表する、「日本福音同盟」は距離を置いています。現在は例えば、共和党支持の福音派民主党支持の福音派の両方があるような状況です。

 一方、日本の宗教学者の方々は、このような一神教的なあらゆるコントロールキリスト教側からすれば優しい包容力であっても)に抵抗感を感じ、何の一神教的なコントロールも何もない、アミニズムの世界、多神教の世界こそが、もっとも高度な宗教体系であることを証明しようとしています。つまり「世界は、もともとどこの国でも、山の精とか海の精とかが住んでいるような、アニミズムの世界であったのだ。しかしキリスト教のような外来宗教に犯された結果、どこの国でもアニミズムの良さを失ってきている、だから日本に今も残り続けるアミニズム的な良さをこれからも大切に世界に発信していこう。」というふうな日本発のアミニズムの布教論が聞こえてくるのです。

 確かに、私も「世界は、もともとどこの国でもアニミズムの世界であったのだ」ということはある程度は正しいと思います。しかし、むしろ、ある時点で、世界はアミニズムの世界になってしまっていたのだと思います。

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