人格関係について6・・連続物(現在、私の一番の関心事なんです)

「三位一体」から引き出される「関係論的命題」

 そこで、「人格関係」を説明するには、下記の「関係論的命題」によらねばならないということになります。つまり次の4つの命題です。


     命題5、父と聖霊との二者間の人格関係がある
     命題6、父とイエスさまとの二者間の人格関係がある
     命題7、イエスさまと聖霊との二者間の人格関係がある
     命題8、父と聖霊とイエスさまとの三者間の人格関係がある   


 上記の「三つの位格間の人格関係」に注目するときに初めて、このような「三つの位格間の人格関係」があるから、我々は「三つの位格間の人格関係」の主に造られたものとして、「三つの位格間の人格関係」的に生きることを目指すことができるのです。

 実際、三位一体の「位格」、つまり「ペルソナ」(persona)から英語の「パーソン」(person)が生まれ、日本語では、その「パーソン」が明治以降にようやく日本語の「人格」と言う言葉に翻訳されたわけですから、日本語の「人格関係」の起源は、実はそのまま「三つの位格(人格)間の関係性」ということになります。もともと「二位一体」(造語)「多位一体」(造語)の「位格」がペルソナでもなくパーソンでもなく、「三位一体」の「位格」のみがペルソナであり、パーソンだったのです。

 日本における「人格」理解の歴史は明治の開国に始まり、まずキリスト教がミッションスクールを設立し、特に女性教育における「人格」教育が実を結んでいったのですが(プロテスタント150周年記念大会、湊晶子氏の基調講演より)、一方、このような「人格」(独立した個として)理解ではなく、「人格関係」理解の歴史については、まだ始まっているのかどうかもわからない状況です。いや日本のみならず、キリスト教2000年の歴史の中で20世紀に至るまで、「三つの位格(人格)」理解までは到達できても、「三つの位格(人格)間の関係性」に注目することはほとんどありませんでした。注目しなかったのも幾つかの理由があります。

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