人格関係について8・・連続物(現在、私の一番の関心事なんです)

 二つ目の理由は、だったら、中世カトリックと異なり、宗教改革以降のプロテスタント教会は「存在論」から「関係論」のほうに関心を傾けたかと言うと、決してそうではありませんでした。近代西洋人はデカルト的な「個」に無批判に注目し、「個」の「存在論」に目を向けたものの、「個」と「個」の間の「関係論」にまでは目を向けませんでした。

 そのようななかで、20世紀に入り、ブルトマンの実存主義神学、マルティン・ブーバーの「我と汝」の哲学に基づくエミール・ブルンナーの人格主義神学により、確かに「関係論」に関心が傾いたかに見えましたが、むしろブルンナーの立場は、マルティン・ブーバーの考える「関係論」ではなく、いわゆる「人格論」でした。それで、結果的には「それが私という実存契機、出会いの一方の極である私という主体性の側に少しでも力点が置かれ始めるやいなや、ある種の危うさを伴うことに」(芳賀力 神学の小径1 啓示への問い キリスト新聞社、2008年)なり、結局のところ未だに、「関係論」研究は危なっかしい聖域のままなのです。

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