三位一体教No.9(連続物ですので面白くない方は読み飛ばして・・・)

 例えばキリスト教の祭日とされているクリスマス、クリスマスはもちろんキリストの降誕を祝う日ですが、あの日の設定に関しては、キリスト教的でも何でもありません。あの12月25日という設定は、キリスト教が外来宗教だったのに、ローマ帝国で与党のようになった時に、国家権力の力を借りて、太陽神の祭りの日をクリスマスということにしてしまったのです。キリスト教の正典である聖書の中には、12月25日がクリスマスだとは書かれていません。

 クリスマスの日程が太陽神の祭りの日程から取られたことからわかるように、西洋は昔からキリスト教ではありませんでした。外来宗教キリスト教が与党のようになる前は、西洋世界も日本と同じように、アミニズムであり、多神教の世界だったのです。なぜなら、西洋に限らず、人類は大昔から平等に創造主を忘れ去っていましたから、アニミズム多神教世界だったことは不思議でも何でもありません。同じように4000年前のアブラハムの時代も完全に創造主を忘れ去った時代でした。そのような忘れ去られた世界の一人のアブラハムという方に神さまは語りかけられたのです。

 ですから、よく一神教多神教を対立的に語られますが、私は、むしろもともと全世界は多神教であったと見ても、キリスト教として構わないと思います。つまり、みんなが平等に創造主を忘れ去っていたからです。

 日本のキリスト教は、少し優越感を持って「西洋=キリスト教」という構図を利用して「ああそれもキリスト教の影響ですよ」「ああそれもキリスト教の影響ですよ」って誇ってきました。きっとその通りでしょう。しかし西洋の負の遺産が見え隠れしたときは、キリスト教は少し語るトーンを落としてきたのも事実です。

 ですから、これからのキリスト教は、「西洋=キリスト教」というふうに語り過ぎるのはもうやめて、世界どこに行っても、平等に外来宗教だったと語るほうが良いと思います。創造主を信じないすべての罪深い文化の中で外来の創造主がどれほど外来の熱い眼差しを向けられたかを味わい知ってほしいのです。

 それでは人類に語りかけられた神について、少しずつ話を進めてまいりましょう。


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