人格関係について14・・連続物(現在、私の一番の関心事なんです)

 15通りの人格関係の組み合わせを並べました。最初の1〜4の4つは、三位一体なる神の内部での対話的人格関係ですので、我々の側からすると、全く体験不能な未経験ゾーンです。ですから、1〜4の4つは、我々の側からすれば全然関係が持てない領域なので、絶えず「我とそれ」(ブーバー)で有り続けます。

 例えば私たちがイエスキリストの受難直前のあの「ゲッセマネの祈り」について、子と父との対話的人格関係(祈り)だと理解し、今後、この祈りについて研究を進めたとしても、決して「我とそれ」(ブーバー)の域を越えることはないのです。なぜなら我々は三位一体間の対話的人格関係の当人ではないがゆえに三位一体間の対話的人格関係を知ることができないからです。もっとわかりやすく言うと、私たちはイエス様と父なる神さまとの間で交わされた、あの祈りに入り込みたくても入り込むことはできないのです。

 しかし5〜11の7つは、1〜4とは異なります。つまりそこには「私」が入るからです。5〜11は「私」が入った形での人格関係ですので、すでに「我とそれ」(ブーバー)ではなく、「我と汝」(ブーバー)の関係で有り続ける可能性が出てきます。

 次の12〜15の4つは、隣人が入ることにより、単なる主観領域を超えるものとなっていきます。つまり人間である二者が確認し合うことができる関係だからです。これらのものをまとめてみると次のようになります。

   1〜 4の4つの「対話的人格関係」は、「我とそれ」研究の研究的世界
   5〜11の7つの「対話的人格関係」は、「我と汝」が深まる礼拝的世界
  12〜15の4つの「対話的人格関係」は、「我と汝」が広がる宣教的世界

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