ついでに日本MBの福音聖書神学校の沿革も・・。

 ある会議のメンバーとして、福音聖書神学校の沿革をまとめる宿題を頂いたので、まだ未完成ですがその内容を書いてみました。

 日本MBは、MCC(メノナイトセントラルコミュッティ)の救済事業を引き継いで宣教を開始しましたが、日本MBの神学を導いたハリー・フリーゼン師は、MCCの平和神学の影響を受けることに対して強い危機感を持たれました。それで日本MBは他のメノナイトとの距離を保ちつつ、バプテスト系の「日本バプテスト教会連合」、「日本バプテスト宣教団」と協力しつつ、「大阪聖書神学校」を開校していきました。しかしこの神学校は長続きせず、日本MBは「ダラス神学校」に倣う「ディスペンセーション神学」の神学校として「福音聖書神学校」を設立していきます。ただ、他の神学と馴染まない「ディスペンセーション神学」も時代の影響を強く受け、「伝統ディスペンセーション神学」から「修正ディスペンセーション神学」に移行し、眞鍋孝師の校長就任時には、さらに穏健な「漸進ディスペンセーション神学」の立場に移行してきました。また2000年頃には、教団内において再洗礼主義アイデンティティを求める動きが広がったことにより、現在においては、「漸進的ディスペンセーション神学」と「再洗礼主義」を共存させる一つの方向性が生まれ、「聖書的」「宣教的」「平和的」の三本柱をバランスよく追求する道が開かれています。

     日本メノナイト・ブレザレン聖書学院(1957〜1961)
     大阪聖書神学校(1961〜1971)
     福音聖書神学塾(1971〜1977)
     福音聖書神学校(1977〜)