フリーゼン先生と平和主義1

  ハリーフリーゼン先生はダラス神学校出身の「ディスペンセーショナリスト」でした。ですから先生のアナバプティズムは、ディスペンセーション神学に規定されたなかでのアナバプティズム、でした。先生のアナバプティズム観は、「アナバプティズムの流れこそが自由教会の先達だ」というものだったと思います。確かに過去のアナバプティストたちは、自由教会を切り開いた先達者であり、それがゆえに、初期に国教会の束縛から逃れざるを得なかった人たちでした。ですから、間違いなく、国教会から分離した「自由教会の先達」だと言えましょう。私もこの言い方は大好きです。

 しかし、もしアナバプティズムアイデンティティーが福音的自由教会アイデンティティーと同じならば、何もMBでなくても、過去一緒に神学校をしたことのある、日本バプテスト教会連合、バプテスト宣教団でも良いということになり、また、他にも沢山ある、自由教会系の福音自由教団、聖契教団、日本同盟福音教団、他の敬虔主義の影響を受けた自由教会の群れでも良いではないかということになります。

 しかしMBは歴史的平和教会としてのMBとしての色を出さないとMBとしての賜物を生かしたとは言えません。私はハリーフリーゼン先生の場合は、日本に来たアメリカ人の宣教師として、日本国憲法を評価するなかで、「アナバプティズムとしての平和の問題」はすべてアメリカも賛同して作られた日本国憲法平和憲法)がやってくれるのだから、平和のほうはそちらに任せて、私たちのほうは、この日本国憲法の保護のもとで、教会共同体として、福音伝道一本で励むのだと言う理解を持っておられたのではないかと思います。

 問題はこの恵まれた日本国憲法が揺れ動き始めてきている昨今、平和の問題は日本国憲法に任せる、なんて言ってられない状況になってきたということです。ですから、フリーゼン先生の時代と今の時代とは対応の仕方が違って当然なのです。