971、外来宗教でいいじゃないか。世界どこでも基督教は外来という論理

 なんとかして宗教としてのキリスト教を相対化したい。この作業をし続けないと日本の伝道は進まない。ビリーグラハムも、キリスト教とはキリストだと言い続けた。しかしその程度では日本の伝道は進まない。ある牧師はキリスト教は宗教ではなく関係だと言ったが、この程度では日本の伝道は進まない。さて、どのようにしたらキリスト教という宗教を相対化できるのだろうか。このような発想は、私がメノナイトだから持てる発想だろうと思う。キリスト教国で迫害された500年前の歴史があるがゆえに持てる発想だと思う。これからの課題は、日本で宣教していくなかで、どこまで自分たちを相対化できるか、どこまで将棋の持ち手があるか、である。日本のほうがもしかすると、相対化は得意だと思っていると思う。しかし日本人であるということは外来は含まないという絶対化に向かう本音があると思う。ペテロは次のように言う。我々は旅人で寄留者だと・・・。だから外来でいいじゃないか。ヨハネは、もともとロゴスから始まったことを伝えてくれているが、そのような神学は日本では通用しないようだ。だから外来でいいじゃないかとあえて言い続けよう。