2017-12-15から1日間の記事一覧

977、「あれもこれも」どうでも良い周辺領域でも強い決断が必要なのか

976、自分の意思が届かぬ所は神の領域。届かぬ他者の意思は????

975、受肉だけが謙遜。我々の謙遜は嘘。我々の謙遜とは傲慢のことだ

974、「みだりに神の名を唱えるな」神を信じていればみんなわかるはず

973、「我と汝」関係なら、お互いの呼び方は確かめ合って決めたらいい

972、仏教は来世、神道は現世。基督教はXマスと結婚式で手を打とう!!

971、外来宗教でいいじゃないか。世界どこでも基督教は外来という論理

なんとかして宗教としてのキリスト教を相対化したい。この作業をし続けないと日本の伝道は進まない。ビリーグラハムも、キリスト教とはキリストだと言い続けた。しかしその程度では日本の伝道は進まない。ある牧師はキリスト教は宗教ではなく関係だと言った…

970、メノナイトは戦後教派。戦前からのホーリネスには頭が上がらない

戦前には平和主義の宗教グループもあった。しかし富国強兵政策のなかでほとんど消えていった。平和主義を語るグループは容易に消えていったのである。我々のメノナイトブレザレンは戦後米国から来た教派であるので、そのようなことは全く知らないままである…

969、讃美歌はドイツ→イギリス→アメリカ。ずっとアメリカで停まったまま

面白いのは、フリーチャーチ系では、古い曲も新しい曲も、アメリカのなかでの古い曲、新しい曲である、ということもわかっていない教会がたくさんあるということである。伝統的な曲もコンテンポラリーな曲もアメリカ発なのである。それほど世界の教会はアメ…

968、和魂洋才の日本なら、洋魂和才でもなく、基魂和才の宣教はどうか

かっこよく、基魂和洋才と言いたい。もっとキリスト教の普遍性を客観的に語りたい。しかしやはり私たちは日本にいる人たちなので、基魂和才と言い続けるべきなのだろう。和の概念がなかなかわからないのであるが・・・

967、歴史の連続性が問われるが、非連続性も問われるべきではないか

カリスマ運動、根本主義、諸聖霊運動に見られるものは非連続性であろう。奇跡が起こるというのも非連続的なことだろう。すでにある文脈との連続性がない。連続性の重要性を学んできた。連続性は歴史を見つめることの大切さを教えてくれた。しかし非連続性に…

966、聖書文脈への語りが我々の文脈へ。しかしそれ以上の普遍性あり

965、基督教とはクリスマスと結婚式で手を打とう。後は信者人口の1%

964、日本は外来宗教に神経質になる中で、時と共に仏教も変質させた

963、秀吉は温厚な宣教師の後から来るキリスト教国家を恐れたのだろう

962、「汝の敵を愛せよ」だけでは危なっかしい再洗礼派を補完する原理