三位一体教No.11(連続物ですので面白くない方は読み飛ばして・・・)

 次に、もちろん、新約聖書を信じないが旧約聖書を信じる、ユダヤ教も「三位一体教」ではありません。キリスト教の母体となったものが、ユダヤ教です。クリスチャンの人たちが、お祈りのなかで、神さまのことを、あるときはイエスさまと呼んだり、あるときは聖霊様と呼んだりしている様子を冷ややかな目で見ているのは、きっとユダヤ教の人たちでしょう。キリスト教一神教を分かりにくくしていると彼らは「三位一体」に首をかしげるでしょう。

 それから、熱心に一件一件、二・三人で各家を訪問して来られて伝道されている「エホバの証人」と呼ばれている人たちも「三位一体教」ではありません。「三位一体」の疑問をクリスチャンにぶつけてこられるのが、「エホバの証人」の方々でしょう。彼らはイエスキリストを神とするのではなく、卓越した人間として信じています。それから、キリスト教歴史のなかでどの時代にも登場してきたユニテリアンというキリスト教の一派の人たちももちろん「三位一体教」ではありません。彼らの信じる神は本当に唯一なのです。ですからイスラム教もユダヤ教エホバの証人もユニテリアンも共通するところは、人間の頭で納得できる合理的な完全な一神教と言うことができましょう。それに対して「キリスト教」の神ほど、説明しにくい、不合理な面を持っている宗教はないと思います。その不合理さは「三位一体」という言葉になかによく表れていきます。1+1+1=1だなんて、人間の理性ではやっぱり解けない算数です。

※カテゴリーの「三位一体教(連続物)」をクイックすると今までのものが読めます。