ある社会学者の「祈りについての確信」

 懐疑と信仰の狭間で思索する、理屈っぽい一人の有名な社会学者である著者、ピーターバーガーに、次のような祈りについての確信が与えられたようです。

 「わたしの若い頃の知り合いに、いつもどこか上の空のところがある愛するべき人物がいた。ドイツ系プロテスタントの牧師であったが、物忘れがひどくて、鍵でも財布でも大事な書類でも、はては説教原稿までも、しょっちゅうどこかに置き忘れてしまう。その妻が言うには、そういうことが起きると、夫婦して嘆き、なくした物が見つかるように神に助けを祈り求めるのだそうだ。それを聞いた時、わたしは馬鹿げた話だと思った。神がそんな些末事と関わり合うわけがない。だが、後にわたしは悟ったのである。それが馬鹿げているならば、われわれがもっと重大だと思うことには神は関心を持つだろう、という信仰も同じくらい馬鹿げているはずである。はるかな宇宙の極みから見れば、国家の運命もあの牧師がなくした鍵とさほど違いのない些末事なのだ。神はその両方をみ心にとめられる、というのが信仰の確信であった。」(「現代人はキリスト教を信じられるか 懐疑と信仰のはざまで」ピーター・バーガー著、森本あんり 篠原和子訳)