私と教会音楽(2)

 東京基督教短期大学神学科の三谷先生のクワイヤーは50名程いました。天田繋先生の教会音楽科は10名程?だったのでしょうか。そのようななかで、確かクリスマスの時期に、日本イエスキリスト教荻窪栄光教会で、クワイヤーと教会音楽科の合同コンサートのようなのがありました。もしかすると合同のコンサートは、あのときが、最初であり最後だったかもしれません。これが実現できたのも、当時教会音楽科の教師の一人だった西脇先生が荻窪栄光教会の会員だったことからでしょう。説教は故森山諭先生だったと思います。この時に三谷先生のクワイヤーと教会音楽科の合同での「オーホーリーナイト」が演奏されたのです。あの時、天田先生が指揮なさったか、三谷先生が指揮なさったか、全く覚えていません。でも覚えていることは、三谷クワイヤーの伴奏者だった私がその流れで伴奏者になってしまったということです。今思えば考えられないことです。岳藤先生はもしかすると、パイプオルガンを弾いてくださっていたように思います。荻窪栄光教会と言えば、中田羽後先生の作られた教会で、「聖歌の群れ」のなかでは中心的な教会であり、象徴的な教会でした。今思えば、凄い機会が与えられたなあと思っていますが、それがいつだったか、覚えていないような状況です。東京基督教短期大学神学科が東京基督教大学神学部になり、また当時の教会音楽科もなくなってしまいましたので、とても懐かしく思い起こしています。中田羽後師は偉大な福音唱歌の伝道者でしたが、もう一つ三谷種吉も福音唱歌の伝道者でした。三谷幸子先生はお父さま三谷種吉師の曲に対する、中田羽後師の取り扱いに対してずっと不満を持っておられました。もちろん、主に委ねてはおられたのですが・・・。その中田羽後師の荻窪栄光教会で三谷クワイヤーが演奏したのです。それも天田繋先生の教会音楽科と合同で・・。