父親の斜め後ろで、壁か柱に寄りかかりながら、優しい眼差しで控えめに息子を見ている女性は誰?

信仰の眼で読み解く絵画

信仰の眼で読み解く絵画

 私の神学校時代の同級生、岡山敦彦師が突然、絵画の解説の本を書き始め、今4冊目が出版されています。私は一冊目の3章のレンブラントを読んで、感動したので、ずっと購入しています。岡山師はレンブラントの妻、ヘンドリッキェのことについて記して、最後に、なぜこのような絵画に関する本を書くようなったかの理由を書いてくださっています。

 「父親の斜め後ろで、壁か柱に寄りかかりながら、優しい眼差しで控えめに息子を見ている女性がいます。私は、彼女はヘンドリッキェだと思います。彼女については既に記しました。彼の第2番目の妻ヘンドリッキェはプロテスタントメノナイト派の信者でした。彼女は最初、家政婦としてレンブラントの家に入り、彼の内縁の妻となった女性です。レンブラントが、彼女を正式の妻とすることができなかったことには、理由がありました。最初の妻サスキアの遺産が彼に遺された時、再婚しないことが条件でありました。その約束を守らなければ、遺された財産はサスキアの親族に没収され、彼の生活がいっそう貧しくなることは容易に想像することができます。ヘンドリッキェは、貧しい家の生まれで、教養があったわけではありませんでしたが、素晴らしい信仰を持った女性で、レンブラントに心の安らぎと家庭の幸福を与えました。

 彼女は、レンブラントとの間にコルネリアという娘を出産しています。その時、前妻サスキアの息子ティトゥスは12歳になっていました。彼女は、自分の娘と分け隔てなく彼を愛情深く育てたことでしょう。レンブラントは、息子ティトゥス肖像画を描いています。当時、子供の肖像画が描かれることは珍しいことでした。彼が14歳ころの肖像画ですが、愛らしく幸せに満ちた表情で描かれています。それは彼がヘンドリッキェによって、わが子のように大切に育てられた証しでしょう。彼は息子のためよりも、ヘンドリッキェへの感謝の印としてこの絵画を描いたようにも思えます。

 同じ頃、レンブラントはヘンドリッキェの肖像画も描いています。その絵画は、彼女が窓辺から上半身をのぞかせているもので、その表情は慎み深くやさしい表情で描かれています。最初の妻サスキアのような華々しさはありません。むしろ彼女の信仰が生み出す内面の美しさを描き出しています。

 レンブラントが『ほうとうむすこの帰郷」を描き上げた時、既にヘンドリッキェは若くして37歳で亡くなっていました。でも彼の後半生を支えてくれた女性こそヘンドリッキェでした。彼はこの大作の中で、何としても彼女を描きこみたかったに違いありません。ルネッサンス以降、画家たちは自分の作品の中にこっそりと自分の顔を描き入れることがよくありました。レンブラントはこの絵画の中に放蕩息子の自分と妻ヘンドリッキェを描き入れたのでしょう。彼が放蕩息子のように、父なる神のもとに帰ることができ、このような絵画を描くことができたのもヘンドリッキェの愛ととりなしの祈りのお陰でした。彼女なしには彼の後半生と描かれた聖画は存在しませんでした。・・・・・最後に、兄息子の横で椅子に腰を掛けながら、低い視線で見つめている男性は誰でしょうか。もちろん父親のところには多くのしもべたちがいましたので、そのひとりだと言ってしまえばそうかもしれません。私は、この男性はレンブラントをまことの信仰へと導いたメノナイト派の牧師タタメニア・アグンセロであったと思います。レンブラントは後半生、同じプロテスタントの信仰でも、改革派教会の信仰ではなく、メノナイト派の信仰に傾倒していたと言われています。1517年に起こったルターの宗教改革から150年が過ぎ、当時のオランダ改革派教会の信仰も少し保守的、儀式的になっていたかもしれません。それに比べてメノナイト派の信仰は、本来の信仰の原点に立ち戻って、弱い庶民への伝道に力を入れていたので、改革派教会がなおざりにしていた十字架による罪の赦しを伝える働きに力を注いでいました。ヘンドリッキェはもともとメノナイト派キリスト者でしたので、レンブラントは彼女を通してタタメニア牧師を紹介され、彼の導きで新生した真のクリスチャンになったと思われます。

 聖画を描くために聖書を読み、金儲けのために絵画を描いていたレンブラントをまことの信仰へと導いたのが、タタメニア牧師でしたから、レンブラントは自分を父なる神のもとへと導いてくれた彼は放蕩息子の絵画の中に描きたいと思ったのは当然と言えるでしょう。私たちキリスト者にとって、自分をまことの信仰へと導いてくれた方はいのちの恩人なのですから。

 レンブラントの最高峰の絵画といえば、多くの人は『夜警』を第一に挙げるでしょう。しかし、私は『放蕩息子の帰郷』を彼の最高傑作として推薦します。それは今まで記してきましたように、この絵画は彼の人生の集大成であり、信仰によって描き上げたものだからです。父なる神は彼にとってかけがえのない愛と赦しのお方であり、放蕩息子は自分自身であり、周りの四人も自分の人生に大きなかかわりと影響を与えた人たちだからです。レンブラント研究の著名な研究者の本を読み、テレビでレンブラント特集の番組を見ても、何となく物足りなさを感じます。それは、彼の後半生の絵画が、彼の信仰によって180度変わったことをはっきりと言わないからです。しかしそれも仕方がないことです。信仰のことは、同じ信仰を持った者にしか理解できないことですから。私のように、絵画の知識も教養もない者がこのような本を書く値打ちがただ一つあるとしたら、それは、信仰で描いた絵画を同じ信仰の眼で読み解こうと努力するからだと思います。」