私の旅日記3(スピリチャル・ジャーニー)

3、東京基督教短期大学神学科での影響
 北米MBのライフスタイル、大挙伝道的ライフスタイル以外のクリスチャン生活を知らぬまま、内向的な性格の私は、自分勝手に作り上げた律法主義の海岸で自己崩壊状況となり、罪の泥沼のなかで精神面もずたずたに引き裂かれていた。いよいよ信仰も座礁しつつあった頃、不思議な導きで長老派系の超教派神学校、東京基督短期大学神学科に入学した。丁度その頃は、三校の合併時期で教授の異動が続き、混沌とした時期であったそうだが、私としてはようやく晴れ晴れとした気持ちで「キリスト者の自由」の門の入口に立つことができたすばらしい三年間であった。異なるクリスチャン像に否応なく遭遇させられる中で、「これがクリスチャンだ」「これでもクリスチャンだ」という結論に次第に導かれていく楽しい学園生活であった。しかし私は、よく福音派の神学生が陥る考え方を引き継いだ面もある。それはキリスト教書店で立ち読みをしながら「なんだデボーショナルな本か」と言いながら、霊的なものを軽視する姿勢も身につけたようである。私はいつのまにか神学と霊性の二つの世界を使い分けする神学生になっていたように思う。いつだったか、ケズィックのスティーブン・オルフォード牧師の説教中に隣の受洗後まもない兄弟に配慮するつもりで、「そこまでして感情的な応答する必要はないよ」と一生懸命語っていたのである。しかし、この学校でバークレー・バックストンの弟子の一人である三谷種吉師の娘さんの三谷幸子女史との出会いは非常に大きなものであった。当時三谷幸子女史の生き様を見て、霊性を伝える賛美の威力に圧倒されたものである。私は賛美の故郷を三谷女史の中に見た。彼女が10代の頃にカンザスの田舎町で経験したMB経験(MBの村に石油が発見されたとき、自分たちが裕福になることよりも、一晩にして村を捨てて移り住むことを選んだMB人のニュースがカンザス中にこだましたようだ、だから彼女は私がメノナイトであることを知ったとき、思わず「あなたMBじゃないでしょうね」と私に言ってしまったのである)との接点、赤ちゃんのときにバックストン先生に抱かれたことを覚えているという聖潔派的な経験、生涯薬を飲まなかった信仰からも多くのことを教えられたが、それ以上に彼女から当時の霊性を吸収する道具としての賛美の威力を知らされた。週二回の聖歌隊練習と個人声楽レッスンは、いつも夕方であったので、彼女の音楽と国立の古いキャンパスでの夕暮れ、またその夕暮れにふさわしい三谷先生が若かりし頃の合唱曲は私の心の故郷となっていった。