私の旅日記4(スピリチャル・ジャーニー)

4、東京での奉仕教会の影響
 東京基督教短期大学神学科に入学して、東京にはまだMB教会がないことを幸いに私は三つの団体で奉仕をした。1年目はある宣教団体で開拓伝道のお手伝いをしたが、信者さんはみんなお客さまのような感じで、外から訪れた私としては、何か影の薄い人たちの集まりのように思えて、今思えば、共同体をなかなか作れない都会型の普通の教会の風景を確認できたのかと思っている。そう言えば私も影が薄かった。神学生一人で教会学校を任され、多いときは40人近く来た子供たちをまとめなければならなかった。二年目は気骨ある聖潔信仰に根ざした会衆の多い教会であったが、あるとき、カテキズムの勉強会で「聖潔(きよめ)を信じている人などいるの。牧師ぐらいじゃない」という声を聞き、聖潔に対する冷淡な雰囲気を少しばかり感じ取り、少しショックを受けた。またその教会の伝道師のほうから「武田さんは聖めを頂いていますよ」と言ってくださったことも重ねてショックであった。自分の罪の現実のゆえに到底聖めを頂いているとき思えなかったからである。この教会の分校で出会った家族とそこでの子供たちとのふれあいは今も懐かしい。三年目の教会は福音派の枠外の教会での奉仕であった。「福音派の連中」というような言い方をする親分肌の牧師先生であった。自由主義福音主義が共存する環境のなかで、主の肉体の復活を信じぬ副牧師の存在を聞き、唖然とし、同じ団体の他教会の牧師が酒とたばこを拒否するこの教会を「ピューリタンは可愛そうだね」とビールを飲みながら一笑されて「悔しい」と言いながら青年たちが教会に帰ってきたことの報告を聞いたことが強い印象として残っている。しかし、またこの教会の牧師夫人が、超教派の集会で講演して後、帰宅されて「本当に悪魔はいるんですね。」と目を丸くして感動して私たちに語られる純粋な姿に福音派を自認する私のほうが逆に驚いてしまった思い出もある。