1192、牧会とは、相手の実存を想像することから始まるとは思いますが

 牧会とは、相手の実存を想像することから始まるとは思いますが・・・。自分の実存と相手の実存が全く異なる領域にあることを知った上で、相手の実存を自分なりに想像することから始まるものだと思います。

 

 牧会とは、たとえ想像することが痛みであろうとも、想像すること自体を(祈りの中で)楽しむ世界なのです。痛みがある場合は想像することをやめたくなりますが、そうならないように鍛錬するのです。また相手を想像するためには観察するだけでは不十分であるのは当然で、想像を対話のなかで調整するのです。ただ相手の実存を想像できたと思っても、実際は、相手が想像以上に奥深い存在である現実に直面します。それで、牧会者は自分の信仰を働かせて、相手の実存に自分は入れないが、神が入られているという前提で、祈りのうちに、神に委ねる領域に達し、ついには安堵に至るのです。

 

 牧会者は、これを繰り返し続けることになります。アルコール依存症者の場合は、嫌なことを想像することをしたくないので酒に走るライフスタイルを確立した人たちです。しかし、彼らにとって残念なことは、嫌なことだけ消したいのに、良いことも消してしまうことになります。そして過去を全部消してしまった途端に未来とのバランスが取れなくなり、未来も消してしまうのです。

 

 しかし、牧会はアルコール依存症者とは正反対の道を歩むことになります。祈りのなかで、自分の想像力を働かせる領域をどんどん広げていく冒険者になるのです。想像力を働かせても、相手の実存には入れないことをわかっていても、想像の冒険を繰り返し、相手の中に神がおられることを信じ、直接、神に祈り、委ねるのです。