1193、聖書の神は、あらゆる自我が溶け込んでしまう神性の海ではない

「・・・これに対し、西アジアの宗教伝統では、神を人格と考えることがこのどちらにおいても(マックスウェーバーの言う「達人の宗教」と「大衆の宗教」どちらにおいても)中心となっている。エルンスト・トレルチがこの特徴をキリスト教に固有であるとしたのは正しい。聖書の神は、語り、聞く神である。そして人間の究極的運命は、この交わりの永遠性であり、あらゆる自我が溶け込んでしまう神性の海ではない。」(ピーターバーガー)

アーメン