1194、眼前の親との対話よりも先祖との対話を優先している?

先祖を大切にしないといけないというのはわかる。しかし先祖に対しては、「我と汝」(ブーバー)の人格関係的対話はあり得ない。「我と汝」の関係があり得るのは、親子関係、生きている祖父との関係、生きているひーじいさんとの関係、ぐらいまでだろう。にもかかわらず、あり得ない「ご先祖さま」という曖昧な対象との曖昧な対話を優先するというのはどうなんだろう。先祖との神秘主義的合一的関係を優先する人々がいるということはどうなんだろう。歴史の多人数の先祖たちを一人の人格のようにして「ご先祖さま」にしてしまうのは如何なものだろう。モーセも「ご先祖さま」とは言わなかった。「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」というふうに固有名詞をあげている。