1175、どんな祈り? → どんな神学? → どんな教会? この順番

「その中でともに思い起こすべきは横浜バンドである。それは祈祷会から始まった。プロテスタント的「祈り」は神との人格的関係の中で神との語りである。それはキリストが「主の祈り」として教えたような祈りである。植村ははじめてキリスト教的祈りを経験した。それはまさに神関係へと「たましい」のそそり立つような経験、まさに垂直次元の経験であった。それは政治的外面の維新ではない、まさに精神的内面の「維新」を経験したと言うことができる。それは内面の垂直次元の発見であった。きれは明治の「和魂洋才」の「和魂」とも異なるまったく新しい精神的内面性の経験であった。それゆえ、この「祈り」の会合は、日本の精神史=霊の歴史上もっとも重要な出来事であると言っても過言ではないと思う。」(大木英夫「人格と人権」第2部 新しい弁証学への道「人格」理念の明証、P277-278)

 

 ペンテコステでもそうだった。神学化は後である。神学化以前の「我と汝」の垂直関係が最初にあり、イギリスからの神学、次にドイツからの神学でこれらの最初の現象を神学し、弁証するようになったのだ。現象からある神学の完成に至るまでのプロセスにパッションが与えられ、そしてリバイバルが与えられていくということだと思う。完成に至った時には祈祷のパッションが失われていた、ということがあるのではないか。