2022-08-29から1日間の記事一覧
名前の哲学144頁「われわれは自分たちがこの神の名を一緒に呼ぶことによってはじめてわれわれになる」(ローゼンツヴァイク2011.107頁)この言葉を読みながら、10人のツァラアトが、イエスさまに向かって、離れたところから「イエス様、先生、私たちをあわれ…
神が私の名前を呼んでくれる、というのは違和感がある。なぜなら私の名前は親がつけた名前だからである。神がつけた名前ではない。同じように、私が神の名前を呼ぶというのは違和感がある。だから人間がつけたいろいろな名前で呼ばせてもらう。いろいろな名…
名前の哲学185頁「人間は名づけるものであり、この点にわれわれは人間のうちから純粋言語が語り出していることを認識する」(ベンヤミン1995.16頁)
「神の人格性ということは、キリスト教の主要な教義であるということは、今日ではしばしばごく当たり前のことのように思われているために、われわれはこの表現を歴史的信条やキリスト教会の告白に全く見出すことがないのみならず、つい最近に至るまで三位一…
「小学校に通いはじめたころ、犬が飼いたくてしかたがなかった。あまりしつこくせがむものだから、父が雑種の子犬をもらってきてくれた。毛が茶色と白のぶちだったので「チロ」と名づけた。「チロ」が庭をよちよち歩きまわったり、ひざうえで眠りこける様子…