お祈りはキリスト教のものなんだなあ!!(1)

 11月22日の「今日の礼拝説教からのワンポイント」で、「お祈りはキリスト教のものなんだなあ」と書きましたが、この点に関して、最近出版された「現代人はキリスト教を信じられるか」(ピーター・バーガー)はわかりやすく伝えてくれています。有名な社会学者ピーター・バーガーの鋭い神学議論に対して、私としては、根本的な部分で、賛同できないところが数多くありますが、賛同できるところはすっと入ってきました。

 「究極的実在を人格神と捉える考え方と、非人格的な存在と捉える考え方は、どの宗教伝統にもある。だが、エルサレムを中心とする諸伝統は前者を重んじ、ベナレスを中心とする諸伝統は後者を重んずる、という一般化は許されるように思う。神は、人格的で、言葉を語り、人格として呼びかけることができる存在なのか。それとも、人格存在を超えた実在で、みずから語ることもなく、人間の語りかけも届かない存在なのか。これはとても根本的な問いなので、ジョン・ヒックの提案するような「棚上げ」はできない。また(何人かの思想家が言ったように)、神はその両方であるとか、どちらでもないなどと言うのも意味がない。もちろん、究極的実在は、人間が作り上げた「人格」だの「非人格」だのと言ったカテゴリーで捉えることは不可能であろう。わたしが知りたいのは、むしろ、次のことである。はたして神は、わたし自身が人格であることを否定せずに、わたしと交わりをもつことができるような存在なのか。神が人格であるなら、神はわたしに呼びかけることができ、またわたしからも神に呼びかけることができるはずである。・・・・もし究極的実在が非人格的であるなら、わたしは瞑想や精神と肉体の修行を通してそこに到達しようとすることはできるが、それに向かって祈るということは意味をなさない。」
 
 仏教が瞑想と修行の宗教だとすると、ああお祈りはやっぱりキリスト教のものなんだなあ!!