礼拝堂奥行き8m、横幅13mの音響

 設計会社の関係で音響の専門の方が来られました。私たちはずっと残響のことを気にしていました。言葉をどうするか、音楽をどうするか、また音楽では、古典音楽と現代音楽では残響の長さが違うがどうするか、と言う議論がありますが、その専門の方は、奥行き8mなら残響は殆どない、ということ、つまり議論する必要もない、ことがわかりそれはそれでよかった、と思いました。ああ、人は限界の中で生きていることから議論をしなくて済むんですね。そしてその専門家の方から「音像定位」という言葉も教えてもらいました。つまり話している人の方向からちゃんと音が聞こえてくるための音響のテクニックがあるんだそうです。そのテクニックのために、大切な人間の耳の特徴を知る必要があるんだそうです。それが先に聞こえてくる音に耳が合わせていくということなんだそうです。そう言えばそうです。私、今朝、都会のど真中で騒音が一杯あるなかで、一度、鳥のさえずりが聞こえるとずっと鳥のさえずりが聞こえ続け、鳥のさえずりの居場所・方向を自分の耳が捜し求めているのを感じました。
 それからもう一つ教えられたことは音というのは最初にあたる部分で決まるのだそうです。だから残響のない今回のような場所では二度目に当る部分は殆ど考慮する必要がない、とのこと。今回の新会堂では最初に音があたる側面はガラス部分が多いです。ガラスは高音が響くということを聞いていましたので、その方に少し質問してみましたら、高音の響きは、ガラスの固定の仕方でも全然違うんだそうです。
 ユダヤ人は音楽が造形に比べて偶像になりにくいから音楽のほうを受け入れました。でも「偶像」ではないけど、「音像」というものがあるんですね。