日々のみことばと説教

 私は牧師をしていますので、毎週毎週、日曜日の礼拝で、聖書の順番通りに、講解説教をしたいのですが、なかなか思うようにできていません。また毎回、興味ある聖書箇所を選んでトピック説教をする団体もありますが、基本的に私たちの団体でも、毎回トピック説教する牧師はいません。それで私がするようになったのは、「日々のみことば」というデボーションテキストの聖書箇所を聖書日課として、「日々のみことば」の流れで教会が歩んでいるという前提で(実際には聖書日課の箇所を認知していない人も多いのですが)、一週間の聖書箇所の中から一箇所を選び日曜日の説教をしています。教会はこの流れで生きているんだという確信のもとで、説教をしています。

 そのテキストである「日々のみことば」のなかに、「説教者のための一言」というのがあり、とても参考になっています。9月号を見れば129回ですが、とてもいいですよ。今回は、「隠喩による想像力」というタイトルで、よくまとめられていました。その中にウエルスビの言葉が引用されていました。「説教者が用いる言語自体が隠喩的であり、聴衆の思考方式も隠喩であり、聖書が記された方式も隠喩的である」そしてこう書いてありました。「それで言語が持つその特性のゆえに、神の御言葉を解き明かす使者としての説教者は詩人であるべきだとよく言われます。詩人のように聴衆の目に絵をイメージさせるようなことばを使うことができるなら、聴衆の精神世界だけに留まる説教でなく、聴衆自らの応答にまで導く説教が語られるのではないかと思います。」んー 目指す目標はなんと高いことでしょう。