キリスト教は宗教ではなく、人格関係だ

 キリスト教を客観的情報として学んで納得した人たちは一杯います。でもその人たちは必ずしもクリスチャンではありません。日本の大学教授の中にキリスト教のことをよく学んだ人たちが一杯います。でもその人たちの殆どがクリスチャンではありません。どうしてでしょうか。


 それはキリスト教が宗教ではなく、人格関係だからです。イエスがキリスト(救い主だ)と悟ったとしても、イエスさまとの人格関係がなければクリスチャンではありません。人格関係、つまり、お祈り(神さまとの交流)がなければクリスチャンではないのです。となると、どうしたら人格関係の入口に立つことができるのでしょうか。思い切って、勇気を持って、あなたひとりの部屋でいいですから、このように祈られることをお勧めします。


 「もし神さま、あなたさまがおられるならば、私に答えてください。あなたは私のお父さまですね。私はずっとあなたから離れた罪人でした。でもこんな罪人を救うためにイエスさまをこの世界に送ってくださったんですね。そのイエスさまが私の罪を背負って十字架に架かって死んでくださったんですね。私が、この事実を受け入れ、イエスさまが個人的な救い主であることを信じることにより、私の罪は洗い流され、あなたさまの子供として回復されるんですね。ですから私は、イエスさまを個人的な救い主として信じ、受け入れます。ですから、これからも先ずっと、どんな時にも、「お父さま!!」って祈らせてください。お父さま、これからもよろしくお願いします、私をクリスチャンとして導いてください。イエスキリストのお名前により祈ります。アーメン」とお祈りして、教会の門を叩いてください。