一対多だからね

 最近「一対多だからね」と思うことが多くなった。基本的に一が多に対して何ができるのだろうか。多が一に対して何ができるのだろうか。1人が1000人に対して「I love you」「愛してるよ」と言っても大丈夫なのだろうか。反対に、1000人が一人に対して「I love you」「愛してるよ」と返しても、大丈夫なのだろうか。一人が1000人の願望を真面目に受けとめることができるのだろうか。私は「一対多」には魔物が住んでいるように思う。韓国の芸能人の数多くの自殺の報を聞きながら、あの人たちは、多に対して真面目に対応しようとした人たちかもしれないと、ふと思った。なぜなら、多に対して真面目に対応しても大丈夫なお方は、イエスキリストだけだと思っているから。私たちって、多の中のたった一人の人の中傷だけでも苦しむことになるから。二三人の神学は、一対多の神学ではなく、二三人の神学、なのだ。