日本MB歴史(2)

【MB宣教準備期におけるティルマン師の貢献】(なぜ池田に?)
 MBからのMCCワーカーとしてティルマン師が此花区春日出のMCCセンターの責任を担ったのであるが、メノナイト・セントラル・コミュティ(MCC)が伝道団体ではなく救済団体であったので、もちろん伝道活動には制限があった。そのようななかティルマン師は後のMB宣教を準備するという使命を貫徹していくために宣教師館の場所を探し求めたのである。それで1950年11月、池田市尊鉢町59番18(現石橋荘園)に宣教師館を入手した。医師の家であった。ここが後のMBの本部となり、この地(石橋荘園)がMBの活動の拠点となっていったのである。なぜ池田を選んだのかがわかる資料はない。そして翌年1951年3月13日にハリー・フリーゼン師、ハロルド・ゲーディー師一家がMB宣教師として来日され、3月19日に2家族がここに住むようになる。それから二ヶ月後、1951年5月13日、「荘園会館クラブハウス」にて最初の礼拝が、MB宣教師によって執り行われた。この礼拝が後の石橋キリスト教会の最初の礼拝ともなったのである。MCCのワーカーたちはこれまで日本基督教団四貫島教会の礼拝に出席していたが、MCCワーカーのうちのMB関係者は「荘園クラブハウス」の礼拝に出席するようになった。