未完感覚

 未だに、父、武田二郎のことがわからない。彼の未完感覚の実体がわからない。わかろうとしているのだが、彼の時代と私の時代は違い過ぎているからである。彼はまだ少年であった自分に向って飛行機から機関銃で打ってきたアメリカ、原爆を投下したアメリカが憎くて仕方がなかった。と同時に戦争そのものが自分の時間を奪い、自分の家族も引き裂いたという気持ちになり、その怒りをバーテル宣教師に向けたのである。しかしかつての敵国アメリカからの宣教師であり、歴史的平和教会メノナイトでもあったバーテル宣教師は、武田二郎に食らいつかれて、長時間、下を向いたままじっとして何も答えられなかったそうである。父はこの時、もうこれ以上問うまいと心に決めた。バーテル先生は他のMB宣教師に比べて東洋への共感性が高く、例えば漢字も書くことのできた宣教師であったが、そのようなバーテル先生に導かれたことで、彼は教会から離れずに信仰を持つことになる。彼の内に燃える戦争に対する憎しみ、アメリカに対する憎しみは、バーテル先生が下を向いて何も答えなかったことに免じて、終始したのであろうか。その後、ベトナム戦争時にも、徹底して社会的な問題に触れようとしなかったフリーゼン先生(MB聖書学院院長)に対して抵抗感を持ちつつも、そのフリーゼン先生も喜んで勧めてくれた「大挙伝道」「聖書信仰運動」に心を向けていったのである。

 ところが最近になって、大挙伝道そのものが衰え、聖書信仰運動も福音同盟として一つの結実を見、以前のような運動は終ってしまったなかで、彼の内にある未完感覚が再び吹き出し、それと同時に、過去、心に納められていた、バーテル先生にぶつけた問題も未完の叫びをあげているようである。

 確かに、あの頃、教団では、教団を神学的に導いていたフリーゼン先生は、メノナイトであるにもかかわらず、平和問題に全く触れずに、福音一本で勝負されていた。その理由としては、平和問題については、幸いなことかな、日本が平和憲法である限り、そちらのほうでやってもらって、私たちは福音一本で生きる、ということではなかったか、と思っている。もう一つは当時のMCCを通して流入する可能性のある、当時のメノナイトの平和神学からMBの群の人たちを遠ざけようとしたのであろう。それは当時の状況下としては真に賢明なことであったと言える。賢明であった理由の一つとして、社会問題を徹底して福音から切り離したことによって、この頃、日本全国に広がった造反運動の波はMB教会には来ることがなかった、ということ、もう一つは、主流教派が造反運動で弱体化していくなかで、その影響を受けなかったMBはこの時期に急成長することができたということである。私は、父の未完感覚は、MBの未完感覚、福音派の未完感覚に通じたものではないかと思うのである。