私の旅日記6(スピリチェル・ジャーニー)

 東京基督教短期大学神学科を卒業して後、2年間の仕事をする機会が与えられて後、MBの福音聖書神学校に入学することが許可された。福音聖書神学校では聖霊論の授業があった。そこで有田優師より紹介されたのが、F・B・マイヤーと、それまで違和感さえ覚えていたアンドリュー・マーレーであった。そのとき、今まで霊的なアプローチに目を背けていた自分の脳裏に混乱が生じたことを今も色濃く覚えている。また他の授業で、有田師より「アナバプティズムの神学」(ロバート・フリードマン)を学び、「顕在神学」「内在神学」という用語にも初めて触れることになる。この考え方は私を神学に対する軽視に導かなかったが、神学の限界に対しての寛容な心を教えてくれた。私自身が東京で穏健な契約神学を学び、大阪で割合古典的なディスペンセーション神学を学ぶことが、それほど苦痛とならなかったのはこの「顕在神学」の考え方によるものであったと思われる。また私たちとしては、もしかるすと顕在神学、内在神学の考えの隙間にちょっぴり神秘主義の入る余地を自分の内に作ってしまったかもしれない。それから有田優師は多くの現代神学者の本を紹介され、特にカトリックの保守的神学者である岩下壮一を頻繁に紹介されたのに当時は読めなかった。今思えば、急進性のある再洗礼派との正反対の立場であるカトリックを学ぶことによるバランス感覚を磨くように導かれたのであろうと思うが、後ほど有田優師が脳内出血で倒れられて、言葉を取り去られたなかで、副牧師の私に時間をかけてくださって、ゆっくりとこう言われたことを印象深く聞き、今も書き留めたメモが残っている。「私の聖書主義は私が死んだら終わってしまうでしょう。私の聖書主義はカトリックもすべて超えた形のイエスさまだけということなんです。」今も有田優師の継承したかったものを理解できなかったことを心痛く感じている。「霊学」の勧めをすることを怠らなかった先生であったが、もしかするといつしか有田師の不思議な霊性に触れるときが来るかもしれない。20世紀から21世紀にかけて、最近になりキリスト教界では頻繁に「霊性」という用語が用いられるようになっている。