私の旅日記7(スピリチェル・ジャーニー)

 しかし、私はこのような過去の影響の延長線上に、チルチルミチルがわが家に青い鳥を見つけたように、霊性とは全く無縁だと思い込んでいた、わが家のなかに、今の霊性理解に導く鍵を見つけることができた。それは義父の「アルコール依存症」であった。「アルコール依存症」ほど理解しがたい病気はない。義父との同居のなかでこの病気について思索せざるを得ない状況になっていった。福音派が今日まで十分に取り扱い兼ねた理由もよくわかる。しかし、アルコール依存について、学べば学ぶほど、その深遠さに引き込まれて、それがなぜか聖書の真理と重なっていくのを感じていくことは不思議でならなかった。特にアルコール依存関係の用語を使用するなかで気づかされてきたことは、関係障害の恐ろしさであった。キリスト教も関係の宗教であるが、聖書はこんな深い関係障害を知った上で我々に語りかけてきてくれていたのである。これをきっかけに、東京時代の友人を通して、ディアこニアセンターに出会い、同センターを通して「12ステップ」に出会い、「12ステップ」の1ステップ目で「無力」の意味をつくづく感じさせられて、私の信仰理解ががらっと変わったような気がする。結果的にアルコール依存症福音派に人間の意志についての新しい理解を提供してくれることを知ることとなった。私は「自分の意志で信じる」ということを強調する信者であるが、あらゆる依存症の類いの人たちを捨ててしまう冷たい部分も持っていたことを悟らされた。意志で決断してもできないことが当たり前という世界のなかで生きる人たちのなかで、主の光はどう働いてくださるのであろうか。私は父がアルコール依存であったがゆえに、また同居させて頂いたがゆえに心から父に感謝している。