聖書的平和主義への渇望12

 また、再洗礼派の「弟子の道」には次のような視点もあった。再洗礼派の人たちはマタイ18章の「教会戒規」を忠実に行おうとした。メノナイト派はマタイ18章実践を真正面から取り組んできた歴史があったのである。確かにそれがゆえに、分裂を繰り返し、多くの傷を身に受けてきたことは否定できないが、そのことについては徹底的に反省しつつも、彼らはこのマタイ18章を捨て去るわけにはいかなかった。このマタイ18章についてジョン・H・ヨーダーは次のように述べている。

 「(マタイ18章の戒規について)ローマ以上に権威を教会に与え、ペンテコステ主義以上に聖霊に信頼し、ヒューマニズム以上に個人への敬意を払い、ピューリタニズム以上に倫理基準を設け、「ニューモラリティー」以上に個々の状況に対してオープンである。もし実行されるならそれは現在流行している教会改革についての議論以上に根本的な改革を教会のいのちにもたらすであろう。」(ジョン・H・ヨーダー)

 しかし、このようなヨーダーのビジョンは、メノナイトの創始者メノナイトシモンズのビジョンと重なるのであろうが、もしこれを実行していくとしたら、おそらく、理想主義、完全主義、律法主義の危険とも戦わなければならないであろう。