1089、よく聞く「コミュニケーション能力」という言葉、少し違和感がある

 この世界ではもっとも大切な言葉なんだろう。でも教会的にはどうなんだろう。私はいつの間にか、存在論よりも関係論で物事を考えるようになった。そして無意識のうちに、存在論と関係論のバランスで生きているように思う。ですから、存在論が大切なのはわかるが、そっちよりになるとどうも違和感を感じる、そのせいだろうと思う。つまり世間でいうような能力と言ってしまってはダメなんだという共通理解を教会で持ちたい気持ちにまでなってしまう。関係性のなかに能力という用語を入れたくないのである。よく似た言葉として「資質」とか聞くと、やはり少し引いてしまうのは自分だけだろうか。もしかすると自分だけかもしれない。