週報「武庫川のほとり」2013.05.26

       私の思いと主の思い

 先週額賀潤二宣教師が、このタイトルで説教してくださり、教えられたことが多かったのではないでしょうか。使徒16章には、パウロ一行が幻を見て、一行は新たにギリシャ伝道に向かっていったことが書かれてあります。イエスさまを伝えようとする私たちの道も同じように、これから必ず開かれていきます。道が閉ざされても平気です。そんなときは別の道を選択したら良いのですから。でもそれでも閉ざされてしまえば、ただ主を見上げましょう。そしてすばらしい幻を見ることができますように。一行が、主の思いに触れて飛び出していったのが、ギリシャ都市国家ピリピでした。この町の川のほとりで、一行はルデアと出会い、それをきっかけにルデアの家の教会ができ、次に、獄中で看守に出会い、看守の家の教会ができ、家の教会群れとして、あのピリピの教会が形成されていったのです。大切なのは、私たちが信仰をもって進むことです。私の思いではなく、主の思いならば開かれていくことを信じて進むことなんだ、と思います。