聖書的平和主義への渇望1

第1章 MB教会の賜物は何なのか?

 「自らの特殊性を強調して自己確認する時代はもう終わったのだ!」という声があちらからこちらから聞こえてくる。「うんそうだ、本当にその通りだ! 私にとって、イエスさま以外のことは重要ではない」と自分に言い聞かせながらも、しかし、キリストのからだの一器官としての自分の所属する教派のことが気になり、私はいつしか、MB教会の賜物を探し求める旅に出ていた。

 物心ついた頃には私の両親はすでに牧師としてMB(Menonite Brethren)という群れに属していた。MBはクエーカーと呼ばれている人たちとか、プレザレンと呼ばれている人たちと同様に、キリスト教会においては、「歴史的平和教会」(Hisrtory Peace Churches)と呼ばれる「メノナイト」という教派の一派であった。大書店でふと見つけた小さなポケット英和辞典を何げなくぺらぺらめくっていると、「あっMennoniteがあるじゃないか」と興味深々に、今度は「Mennonite」の訳を見ると、何か違和感さえ感じるような「メノー派教徒」と訳されてあった。さて、この「メノナイト・ブレザレン」とは一体どんな教派なのであろうか。MBなるものは、このポケット英和辞典に書かれてある通りのかなり違和感を感じるような、「メノー派教徒」なのであろうか。