聖書的平和主義への渇望6

 その後、MBは第三の故郷を作っていく。ドイツ敬虔主義という第二の故郷を経験したグループのほとんどが、第三の故郷を経験していったように、MBも第三の故郷を経験していった。それがドイツバプテストからの神学の提供であった。ウクライナにいながら、彼らの話す言語はドイツ語系であったので、同じドイツ語を話す人たちからドイツ敬虔主義の影響を受けた後、同じドイツ語を話すドイツバプテストの人たちから、カルヴィン主義的構造神学の影響も受けることとなった。そのなかでも強い影響を受けたのがディスペンセーション神学であった。下の図はメノナイト500年の歴史のなかで、MBはこのようにして、異なる影響を受けてきたことを表す表である。実はどの教派であっても、キリスト教というものは反動反動を繰り返し、右から左までの影響をそれぞれの教派なりに受け止めてきたのである。それと同じようにMBも受けてきた。ただMBの振り子の触れ方は大きすぎる。がゆえにMBはMBの歴史から多くのことを学ぶことができると思うのである。下の表はバランスを学ぶために有用だと思われる。(下記の図は私が日本福音主義神学会西部部会での発題のために作成した図)