聖書的平和主義への渇望8

 私も日本MB教会のなかにすでに内包されている自由教会的要素と非自由教会的要素の一つ一つを検証していくことによって、今まで見えてなかった新しい光が見えてくるのではないか、本来この発想を持つことがもっとも容易であった教派がMBではなかったか、との信念のゆえに私はMBを愛してきたのであろう。また英国国教会内で福音派であることを選び取り、世界の福音派のリーダー的立場であり続けたジョン・ストット博士が次のようにキリスト教歴史を回顧しているのは興味深い。

 「起伏に富んだ教会の長い歴史全体を通して最大の悲劇は何であったかといえば、それはキリスト教としての反体制文化を進展させることをせず、主流的な文化と妥協する傾向を持ってきたことである。」

 ジョン・ストット博士自身は体制派教会である英国国教会内の聖職者であり、現在の体制文化に生きたキリスト教の夕暮れを感じている人の一人であろう。体制文化のキリスト教は21世紀の前にしてかなり深刻な悲観主義に陥っているようである。21世紀が無神論の世紀であると声高に叫んでいるのは国教会体制が消えつつある昨今、職を失う危機にさらされている体制派教会の牧師たちのようである(西欧教会の事情を伝えてくださった加藤常昭牧師の講演より)。そのようななかで今日までジョン・ストット博士と博士の立場を引き継ぐ人たちが、世界の福音主義のリーダー的立場であり得たのは、彼のなかに自由教会運動こそが反体制文化の進展の可能性そのものであったことを彼なりに認知していたからではなかったか。結局、彼自身も危険視したであろう急進的なアナバプティズム運動こそがその先達であったのである。