1179、聖書は「A≠B」の論理で始まっている

聖書は「A≠B」の論理から始まっている。というのは、創世記には「創造主≠我々」「創造主≠被造物」があるが、「創造主=被造物」はない。「神のかたち」を拡大解釈して「神=我々」とすることはできない。